夫婦でのタンデムツーリングをもっと楽しんでほしい――。一見、意外とも思えるライダーがそんな言葉を口にした。
そこに込められた思いを知るべく、Multistrada V4 Sオーナーのご夫婦に会いに行った。
全日本グランプリや全米選手権でチャンピオンを獲得し、80年代のバイクブーム、レースブームを牽引する存在として活躍した宮城光さん。現在はモータージャーナリストやMotoGPの解説者などとして幅広く活躍し、ライダーであれば一度はどこかでその活動を目にしたことがあると言っても過言ではない宮城さんだが、一方で、意外にも(?)愛妻家であることはあまり知られていない。
奥様である里岡美津奈さんとの出会いは10年ほど前にさかのぼる。全日空のチーフパーサーとして働いていた美津奈さんが、バイクのレッスンを受けたいと同僚のパイロットたちとともに宮城さんの元を訪れたのだという。
「たまたま知り合いから、全日空のキャプテン(パイロット)たちが、バイクに上手く乗れるようになりたいって言ってるんだけど、誰か教えてあげられる人いない? って聞かれたことがありまして。それなら僕がやるよ、ってことで、キャプテンたちに筑波サーキットのコース1000に集まってもらって、レッスンすることになったんです。そのときに一緒にきた女性が彼女でした」(宮城)
じつはそのレッスンのときにはまだ、免許を取得してバイクを購入した後、初めてバイクに乗るというタイミングだった美津奈さん。さすがにほかの参加者との差がありすぎるとのことで、まずは駐車場に置かれた2つのパイロンを相手に、ひとりで8の字旋回の練習を命じられたという。だが、そもそも当時40代後半だったという美津奈さんはなぜ、その歳になって急にバイクに乗ろうと思ったのだろうか。
「ずいぶん前なのですが、“バイク派とクルマ派の男性のどちらが好きですか?”という雑誌のアンケートに答える機会があったんです。でも当時、私はバイクの後ろに乗ったことすらなかったので、ふと、一度くらいバイクに乗ってみたいなって思ったんです。そこで、Facebookを使ってバイク乗りの知り合いを探したら、職場の後輩がバイクの写真を上げてるのを見つけて。それでお願いして乗せてもらったんです。ただ、その人が乗っているバイクが1000ccのスーパースポーツモデルで、タンデムシートは小さいし、シート高も高くて2階建てみたいですごく不快でした。もちろん、私が不快だということは、乗せてくださった方はもっと不快だったと思うんですけど(笑)、まったく面白くなかったんです。おんぶされてるような体勢で、信号待ちのたびにヘルメットはぶつかっちゃうし。不快なだけでなく、何より申し訳ないと思った反面、これは自分で運転したほうが快適なんじゃないかと思ったんです。それでバイクの免許を取ることに決めたんです。単純ですよね。」(美津奈)
美津奈さんの行動力たるや、なかなかのものである。美津奈さんはこう続ける。
「大人になるにしたがって、興奮することってどんどん無くなってきますよね。でも、バイクだと精神的にも肉体的にも興奮できて面白いですし、何より非日常感があると思うんです。私は高校、短大と女子校出身で、その後はキャビンアテンダントの世界に飛び込んだので、まわりにはずっと女性ばかりという環境で育ちました。それもあって、バイクというものに触れる機会がまったくありませんでした。なので、バイク=暴走族という悪いイメージしかなかったんです。バイク? あ~やだ。うるさい! 怖い! みたいな。でも、街なかで自分が乗っているクルマと同じ車種や同じ色のクルマが目につくのと同じで、バイクに対して悪いイメージしかないと、そういうライダー、バイクばかり目につくのに、自分がバイクに乗るようになると、突然カッコいいライダーや美しいバイクが見えてくるようになるんです(笑)。そうするうちに、乗りたいなと思ったバイクもありましたが、いまはもうバイクは主人のだけで、私としては所有してないんです。いま住んでいる東京都内だとバイクに乗るのが怖いことも多いし、私の場合は免許を取ったのが40代後半だったこともあってか、なかなか若い子みたいに上手に乗れるようにはなれませんでした。」(美津奈)
「日頃から自転車に乗り込んできたような人ならともかく、そもそも彼女の場合はバイク以前に、自転車にすら乗れなかったんですよ。だから、そういう人だとやっぱり事故に巻き込まれる可能性があると思ったんで、東京に住むんだったら乗せないほうがいいと判断しました。東京ほど交通量があるエリアは特殊ですからね。事故のリスクを考えると乗らないほうがいい。」(宮城)
「バイクは生身の身体をさらして乗るものですから、免許を取ったとはいえ、仕事へのリスクを考えると乗りづらい面はありました。やっぱりプロとして仕事をしている以上、怪我して働けなくなるのは無責任だなと思ったんです。それで、バイクは後ろに乗せてもらうようにしようと気持ちを切り替えたんです。自分の運転だと怖くても、主人が安心の運転ですので(笑)、後ろでそれを体感できるのは二度美味しいと思っています。自分で運転しなくても乗っているような気分が味わえるし、夏場は下道を走るのは暑くてツラいですけど、高速に乗ってしまえば暑い季節でも気持ちがいいですしね。それにインカムを使えば走りながらでも話ができますしね。」(美津奈)
バイクを楽しむアプローチはひとつではない。乗って楽しむのはもちろん、カスタムするもよし、コレクションとして何台も集めたいというライダーもいるだろう。レストア目的で不動車を安く手に入れ、走れるようになれば人に譲る、なんてライダーも少なくない。だから、免許を持っていたとしてもタンデムをメインにバイクを楽しむのもまた、バイクの楽しみ方のひとつであることに違いない。
「僕は、還暦を過ぎてもう一度夫婦でバイクに乗りませんか!、というのをライダーに提案したいんです。60歳になった僕の同世代や、昔から僕を応援してきてくれた世代だと、そろそろ子供も巣立って、夫婦ふたりきりの生活を送っている方が多いはず。子育てが終わったからといって、ひとりでツーリングに行っちゃうんじゃなくて、パートナーを連れてふたりで行く。これが大事。夫婦ふたりきりはもちろん、友人夫婦と連れ立って出かけてもいいと思う。ほら、この歳になると大勢でツーリングに行くのは予定も合わないし、面倒くさいじゃないですか(笑)。だから2組くらいまでがいい。片道1~2時間くらいで行けるところに、食事しに行くくらいがいいんじゃないかな。」(宮城)
その言葉通り、宮城夫妻はときどき食事をしにMultistrada V4 Sで出かけることがあるという。この日も都心から1時間半程度の距離にある千葉県の佐原(香取市)を訪れたふたり。古い町並みが残る北総の小江戸をのんびり散策した。
「ドゥカティだと、Scramber Desert Sledの後ろに乗ったことがありますが、ふたりで乗るならムルティストラーダのほうが安心感がありますね。タンデムシートに座ったとき、両側にパニアケースがあるので身体がバイクからはみ出している感じがないのがいいんです。それがないと振り落とされそうな感じがしてしまって。」(美津奈)
「女性は自分の身体よりも外側に出っ張ってるもの、パニアケースじゃなくても、バンパーやエンジンガードのようなものがあると安心感があるようです。自分の身体がバイクの外側にある、という状況が怖いみたい。」(宮城)
奥さまの感想を、長年バイク業界に携わってきた経験をもとに間髪入れず補う宮城さん。テンポのよいご夫婦のやりとりが心地良い。そしてその言葉通り、乗車中はとにかく楽しそうな笑顔を浮かべる美津奈さん。おっかなびっくり自分で運転するよりも、安心してバイクに乗っていられるタンデムこそ、彼女の性分に合っていたということをその笑顔が何よりも証明している。さらに美津奈さんは、女性ならではの観点でムルティストラーダで出かけるタンデムツーリングの利点を挙げてくれた。
「女性としては、いくら日帰りのツーリングだとしてもちょっとお化粧直しくらいはしたいから、ある程度のバッグは持っていきたいとかあるんです。とはいえ、持ち物を厳選して少なくしておかないと、夫にバッグが邪魔だと怒られるわけです(笑)。だけど、パニアケースやトップケースみたいなものがあれば、そういうのを気にせずに必要なものを持って行っていいよと言ってもらえる。そうなると、女性としても俄然ツーリングに行く気になります。女性のバイクに対するモチベーションを上げるうえでも、ムルティストラーダのようなバイクや、パニアケースみたいな装備って優れものだと思うんです。」(美津奈)
「装備の充実ぶりはもちろんなんだけど、家内は後ろに乗ってても安定してるってよく言っていますよ。まぁ、それは俺が上手いからかな(笑)。それは冗談だけど、ムルティストラーダって、やっぱりすごく走行安定性が高いバイクですよね。この前、イタリアのボローニャにあるドゥカティの本社に行って、すべての現行車に乗って周辺のワインディングを走り回ってきたんだけど、あのあたりってロケーションが本当に素晴らしいんですよ。日本では道路交通法上あまり飛ばすことはできないけど、イタリアの人たちはみんなホットに走るんで、実際そういったところを走らせると、ムルティってハンドリングは格別だし、エンジンもいい。加えてあの車格なんだけどコンパクトな旋回性もあるし、接地感も安定感もある。ムルティストラーダという名前通り、全ての道を走れるマルチパーパスであることがよくわかります。そして何より、ムルティって同セグメントの他モデルと比べると圧倒的に軽いんだよね。取り回しが全然違う。選ぶうえでこれは大きいですよ。」(宮城)
その言葉を裏付けるように、佐原までの高速道路はもちろん、古い町並みにありがちな入り組んだ道でも、Multistrada V4 Sは軽快に走る。目的地としていた古民家レストランの未舗装の駐車場でも、何の不安もない。同じ旅バイクであっても、大型のクルーザーやツアラーだとこうもいかなかったかもしれない。
地元・千葉の食材をふんだんに使ったイタリアンに舌鼓を打ちながら、宮城さんは語る。
「ムルティストラーダのようなマルチパーパスモデルって、僕のような還暦から50代半ばくらいのバイクブーム世代にとってはある種、いまの自分たちのためのスーパースポーツだと思うんです。エンジンがいいからとにかく速いし、ACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール)のようなハイテク装備も満載、ビジュアルでもパリダカモデルをもモチーフにしたスタイリッシュなデザイン・・・それってもうスーパースポーツじゃないですか。若いころは前傾姿勢で速さを求めてたけど、50歳、60歳になってそんなのに乗ると腰は痛いし、お腹もつっかえる。速さより距離や豊かな時間を楽しむことにシフトしてきた大人にとって、こんなに素晴らしいスーパースポーツモデルは無いですよ。」(宮城)
食後にはもう少しだけ足を伸ばし、茨城の霞ヶ浦周辺をMultistrada V4 Sで流した宮城さんご夫婦。インカムを使って走行中は勿論、信号待ちのたびにも言葉を交わし、密にコミュニケーションを取りながらタンデムで過ごす時間を満喫している姿がじつに微笑ましい。バイクは若さや自由の象徴だと見られがちだが、決してそれだけではない。酸いも甘いも噛み分けた大人のふたりだからこそ楽しめるバイクのある暮らし。宮城光さん、美津奈さんご夫婦の背中がそう語りかけてくるようだ。