ドゥカティの歴史はサーキットの世界と強く結びついています。その長い歴史の中で、ドゥカティはレースの世界で唯一無二の存在となっています。この偉業に貢献した、いくつかの特徴がありますが、その中でもカラーは欠かせない要素の一つです。ドゥカティ・レッドは、イタリアのボルゴ・パニガーレを本拠地とするドゥカティを象徴するカラーです。しかし、1972年、ミリア・ディ・イモラ200レースでの歴史的勝利を祝うために、イエローのカラーを纏い、非デスモドロミック・エンジンを搭載したシングルシートの2気筒スポーツバイク、750スポーツが製作されたことはあまり知られていません。
イエローのドゥカティが初めてサーキットに登場したのは1974年でした。ブルーノ・スパッジアーリが監督する非公式チームのライダー、フランコ・ウンチーニが駆るドゥカティ750 SSデスモが、イタリアシリーズ・デリバティブ・チャンピオンシップを獲得しました。
1972年のイモラ200ミリアで優勝して以来、ドゥカティは量産モーターサイクルでレースに出場し、スーパーバイク世界選手権(SBK)への参戦も開始しました。
その後、イエロー・カラーを纏ったドゥカティが再び登場するまでに、約20年の歳月が経過し、916の「ジュニア」バージョンである748が誕生しました。
1990年代はドゥカティ・イエローの人気が頂点に達した時期で、レースの世界で有名になったこのカラーは、量産バイクにも採用されました。イエロー・カラーが設定されたのは、916、996、749、999、1199パニガーレなどの有名なスーパーバイクだけでなく、数世代のモンスターやST2モデル、ST4モデルにも採用されました。
その後、さらに20年以上が経過し、アルド・ドルディがデザインした特別なイエロー・カラーを纏ったオフィシャルチームのマシンが、MotoGP世界選手権(ドゥカティ・レノボ・チーム)およびスーパーバイク世界選手権(Aruba.it Racing - Ducatiチーム)のミサノ・ラウンドで、サーキットに戻ってきました。
このプロジェクトは、アンドレア・フェラレージ率いるチェントロスティーレ・ドゥカティ(ドゥカティ・スタイルセンター)と協力して行われ、世界中のドゥカティスタにとって特別な場所の一つであるミサノ・サーキットで発表されました。実際、ミサノ・サーキットは、2年ごとに何千人ものモーターサイクル・ファンが集結する、ワールド・ドゥカティ・ウィークの会場となっています。
色彩的な観点から見ると、Aruba.it Racing - DucatiチームのパニガーレV4 Rのカラーリングは、時代を超えたキャラクターを強調するかのように、オリジナルのレース用マシンのグラフィックからヒントを得てデザインされています。
ドゥカティ・イエローをベースカラーにしたこのマシンは、ブラック、グレー、ホワイトのブロックやラインを交差させ、オリジナルのカラーリングにモダンな雰囲気を追加しています。エネルギー、情熱、大胆さを象徴するこのモデルは、ドゥカティスタの誇りの表現であり、世界有数の2つの選手権(MotoGPおよびSBK)で、ワールド・チャンピオンとしてレースに君臨するドゥカティの比類なきモータースポーツの歴史に対する敬意を表しています。
「カラーは、ブランドの認知にとって不可欠な要素であり、すべてのドゥカティスタにとって基本的な要素でもあります。ドゥカティを象徴するカラーはレッドですが、イタリアのモータースポーツでは、イエローも同様に重要な伝統を持っています」と、チェントロスティーレ・ドゥカティおよびドゥカティ戦略担当ディレクターのアンドレア・フェラレージは述べています。「このカラーは、エネルギー、情熱、大胆さなど、私たちのアイデンティティの重要な側面を反映しています。この特別なカラーリングは、ドゥカティスタであることの誇りを表現しており、世界でもっとも重要なモーターサイクル・レースの選手権(MotoGPおよびSBK)で、ワールド・チャンピオンとしてレースに君臨するドゥカティの、モータースポーツの歴史に対する賛辞でもあります」